縄文時代はいつ頃で、当時の日本人はどんな暮らしをしていたのか。
本記事では、縄文時代の日本について、分かりやすく簡単に解説します。
【本記事のポイント】縄文時代はどんな暮らしをしていたのか?
早速、ポイントから紹介します。
- 紀元前14,000年~紀元前1,000年頃(稲作が始まる前まで)の時代が縄文時代
- 縄文時代の名前は、当時用いられていた土器の縄目の模様に由来している
- 当時の生活は文字として残っていないため、不明なことが多い(ゴミ置き場/貝塚や遺跡から推測されている)
- 当時の人たちは狩猟採集生活でその日暮らし、貧富の差も少なかったと考えられている
- 縄文人は、非常にグルメな生活を送っていたという一説もある
- 縄文時代の服は見つかっていない(腐敗し、現物が残っていないため)
- 当時の人は、植物の繊維から編んだ布や動物の毛皮などで出来た服を着ていたと考えられている
- 縄文人は竪穴式住居で定住を始めた(ムラも始まった)
- 当時から、全国規模で交易がおこなわれていた(陸路、海路にて)
- 日本の宗教・信仰心の起こりは、縄文時代から始まった可能性がある(土偶などの出土から)
- 縄文人の顔は「幅が広く、四角い」「彫が深い」「二重まぶた」「耳たぶが大きい」「唇が厚い」などの特徴がある
それでは本題に入りましょう!
縄文時代の始まり - 縄文時代とはいつ頃の時代のことか?
縄文時代はいつから、いつまでのことかご存じですか?
日本人の祖先は約38,000年前頃から大陸を経由して、日本に到着しました。
その祖先たちが、紀元前14,000年頃から土器(縄文土器)の使用を開始しました。
縄文土器の使用の開始~時期稲作が始まるまでの時代(紀元前14,000年~紀元前1000年頃)が縄文時代と呼ばれています。
※凡そ、稲作が始まった頃を境に弥生時代が始まったと考えれば良いようです。
また、当時から日本に住みつき縄文時代に暮らしていた人達が縄文人です。
縄文時代の名前の由来
縄文時代の名前の由来はご存じですよね!
ご存じの通り、当時用いられていた土器の縄目の文様に由来しています。
※ちなみに、弥生時代の名前の由来は弥生時代に用いられていた土器が見つかった場所(東京都文京区弥生)に由来しています。
縄文時代の暮らし
縄文時代の暮らしはどんなだったのか、想像したことありますか?
実はどんな暮らしをしていたのかは、ほとんど分かっていないのです。
というのも・・・
実は、縄文時代の歴史は文字として残っていません。
そのため、縄文時代の生活の様子は当時の遺跡やごみ置き場(貝塚)、等から推測されています。
縄文時代は、情報が限られているため、不明な点が非常に多い時代なのです。
当時の人たちがどのような生活をしていたのか、とても気になるところですね。
一般的には、縄文人の暮らしとして以下のことが挙げられています。
- 狩猟採集生活
- その日暮らし
- 貧富の差も少ない
- 政権もなし
貧富の差もなく、仲良く暮らしているイメージですが、実際はどうだったのですかね?
想像すると、冬は寒そう、夏は暑そう・虫にたくさん刺されそう、等々・・・
個人的にはやっぱり現在の生活の方が良いかな、と思います。
縄文時代の食べ物(縄文人は実はグルメな暮らしをしていた?)
縄文時代。
一説によると、実は、縄文人は非常にグルメな生活をしていたとも言われています。
縄文時代には、氷河期から温暖な気候へと変わっていきました。
温暖な気候になり・・・
陸では
森が生まれ木の実を実らせる環境になっていきました。
また、木の実を主食とするイノシシやシカ、鳥類などの、小型な動物も増えていきました。
海岸では
水位が上昇し、遠浅の海もでき、魚や貝なども取りやすくなりました。
そのため縄文時代には
- 様々な肉が食べられていた(イノシシ、鹿、カモシカ、キジなど)
- 色々な魚類が食べられていた(マダイ、クロダイ、フナなど)
- 多用な貝類も食べられていた(ハマグリ、アサリ、など)
- 色々な野菜、果物、木の実(クリやクルミなど)が食べられていた
- 果実酒も飲まれていた
といったように、豊かな食が楽しまれていたとも言われています。
縄文時代の調理法
また、色々な調理方法で食事を楽しんでいたようです。
- 煮る
- 焼く
- 蒸す
- 干す
- ゆでる
- 燻製
木の実をすりつぶして、パン、クッキーにして食べていたなんてこともあるようです。
縄文人とパン、クッキー。
ちょっと萌えますよね・・・
縄文時代に用いられた様々な道具
縄文時代には、縄文土器の他にも、弓矢や槍、釣り針などの道具も登場します。
縄文土器
縄文土器は、粘度から作られます。
土器のカタチを作り、縄文模様をつけ、それを焼いて作られます。
土器を用い食べ物を煮ることで、かたいものも柔らかく食べられるようになりました。
また、土器のおかげで食べ物の貯蔵も出来るようになりました。
上述の豊かな食事を支えたのも、この縄文土器の存在です。
弓矢や槍
狩猟では弓矢や槍も用いられていました。
どちらも先端部分には、鋭利にとがれた石が付けられていました。
釣り針
縄文時代にも、釣りが存在していました。
動物の骨や角(ツノ)を削り、針を作り、魚釣りをしていたと言われています。
その他
縄文時代には、その他にも石を削ったナイフ、銛(モリ)など多くの道具が活用されていました。
縄文時代の服
縄文人の着ていた服は、土の中で腐ってしまったなどの理由で現存しておらず、現物を見ることが出来ません。
考古学者は土偶や、その後の時代の人々の服装から、当時の服装を想定していますが
縄文人は、植物の繊維からとった糸で編んだ布の服を着ていたと言われています。
また、動物の毛皮や魚の皮などで作った服もあったと考えられています。
縄文時代の住居 - 竪穴式住居とムラの始まり
縄文時代以前は、洞窟などに住みながら獲物を追って移動する生活をしていましたが
縄文時代になると、竪穴式住居を建て、定住する生活スタイルが始まりました。
竪穴式住居
地面にくぼみを作るように穴を掘り、複数の柱を立て、その上に屋根(土や植物などにて)を組んだ半地下式住居が「竪穴式住居」です。
家の真ん中あたりには、煮炊きをするための炉ももうけられていました。
ムラのはじまり
みんなで集まり生活するようにもなり、これが「ムラ」のはじまりになりました。
また、貝塚や、お墓も作られるようになりました。
縄文時代の交易
縄文時代の人々は、かなり広い範囲にわたって交易をしていたともいわれています。
なぜ、そう言われているのか?
それは、産地が限定されている黒曜石やひすいが多くの地域にて見つかっているからです。
例えば
- 本州でしか取れないヒスイが、北海道で見つかったり
- 長野でとれる黒曜石が、千葉県で出土したり
- 暖かい海でしか取れない数種類の貝が、北海道で見つかっていたり
これらのことなどから
陸路や、更に丸木舟にのって海を渡り、等く離れた場所とも、全国規模で交易をしていたものと考えられています。
縄文時代の宗教
縄文時代の土偶の発見などから
日本人の宗教の芽生えは、縄文時代にあり
この時代、日本人は自然との共生の中で、自然に対する信心を持ち始めたと考えられています。
土偶
土偶は、人のカタチをした土製の焼き物です。
何のために作られ、何に使われたのか?
土偶は女性をかたどったもの、更に妊娠した女性の姿のものが多かったという特徴があります。
このことから、女性の妊娠を自然の恵みと重ねて
海や山の豊かな実りへの願い、安産や人々の安全への願いの祭りごとの道具として使われていたのではないかと考えられています。
縄文人の姿、顔の特徴
縄文人は背が低く、丸顔で彫りが深く、顔が大きかったと考えられています。
縄文時代晩期~弥生時代にかけて大陸や朝鮮半島からやってきた渡来人と比較した場合、以下のような違いがあります。
あなたの顔はどちらに近いですか?
【まとめ】縄文時代はいつ頃で、当時の日本人はどんな暮らしをしていたのか?
本日は縄文時代の日本について学んでみました。
本日のテーマのポイントは以下の通りです。
- 紀元前14,000年~紀元前1,000年頃、稲作が始まる前までの時代を縄文時代という
- 縄文時代の名前は、この当時用いられていた土器の縄目の模様に由来している
- 当時の生活はゴミ置き場(貝塚)や遺跡から推測されている(当時の生活は、文字として残っていないから不明なことが多い)
- 縄文時代は、狩猟採集生活でその日暮らしだった。貧富の差も少なかったと考えられている
- 縄文人は、実は非常にグルメな生活を送っていたという説もある
- 縄文時代の服は現物がないため分かっていないことが多い
- 植物の繊維から編んだ布や動物の毛皮などで出来た服を着ていたと考えられている
- 縄文人は竪穴式住居で定住を始めた(ムラも始まった)
- 縄文人は、全国規模で交易をしていた
- 日本の宗教・信仰心の起こりは、縄文時代から始まった可能性がある
- 縄文人の顔は「幅が広く、四角い」「彫が深い」「二重まぶた」「耳たぶが大きい」「唇が厚い」などの特徴がある
本記事で少しでも学びがあり、お楽しみ頂けたようならとても嬉しいです。
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